カトリック大磯教会

Catholic Oiso Curch

大磯教会について

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。

休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、

わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

マタイによる福音11章28~30
カトリック大磯教会のホームページにようこそ!
大磯は、海あり山ありの自然に恵まれた町です。
そして、教会は魂のやすらぎを約束してくれます。
皆さまに平和がありますように!

大磯教会の概要

大磯教会の概要

正式名称:宗教法人カトリック横浜司教区
カトリック大磯教会
所属管区:東京教会管区
所属教区:横浜司教区(教区長 ラファエル梅村昌弘司教)
所属地区:神奈川第6地区(茅ヶ崎・平塚・大磯・二宮・秦野
・国府津・小田原・真鶴の8小教区が所属)
信 徒 数:約200名
守護聖人:日本の信徒発見の聖母
教会祝日:3月17日(日本の信徒発見の聖母の祝日)
所 在 地:〒255-0002 大磯町東町2-7-1
     Tel 0463-61-0303  Fax 0463-61-9889

主任 トマス・テハン神父

沿  革:
 湘南地区の司牧を横浜教区から委託された聖コロンバン会が、東小磯の西洋館を購入し、1950年(昭和25年)、小田原教会におられたキルケニー神父がここに移住されました。「大磯カトリック教会」の看板を見て集まった信徒たちの共同体が母体となり、大磯教会が誕生しました。
 1953年(昭和28年)、二代目の主任司祭に当たるグリーン神父が東町の別荘を購入して現在地に移り、現在の信徒館の中央の二部屋を聖堂として使っていました。1960年(昭和35年)、オマーラ神父の時に現在の聖堂が建立され、荒井司教によって献堂式が執り行われました。その後、テニスコートもできてほぼ現在の体裁が整いました。当時は150本の松林の中の教会でした。
 第2バチカン公会議以後の新しい教会の流れを受けて、1967年(昭和42年)にグリフィン神父が赴任し、以後、森下利一神父・モローニー神父・パワー神父等歴代司祭の指導のもとに発展・充実していきました。1982年(昭和57年)にはグローガン神父が赴任し、以後20年近くにわたって大磯教会の司牧にあたりました。
グローガン神父の病気退任後、2003年(平成15年)に主任代行として赴任された笹気直哉神父の指導のもとでの信徒自立のための準備期間を経て、2005年(平成17年)に司祭不常駐の教会となりました。現在は、大磯教会の主任を兼務しておられる平塚教会の主任司祭(2005~2008年 ブランチフィールド神父、2008年~ テハン神父)をはじめ第6地区司祭団の指導のもとで、信徒が自立的な教会運営をしています。

日常生活の中の祈り
〜ミサに参加できない方へ〜

 教皇フランシスコは、2021年2月10日のバチカンでの一般謁見で、「日常生活の中の祈り」について話されています。一部抜粋でご紹介致します。ミサに参加できない方も、忙しい日々の中で、祈るひとときを持たれれば、生活・仕事と信仰が一致していくでしょう。

 日常生活におけるキリスト教の祈りは、歩きながら、あるいは職場で、交通機関を使って移動中にと、あらゆる状況の中で神と続ける対話であり、愛する者がどこにいても愛する人を心に留めているように、祈る者はいつも神を心に抱いている、と教皇は話された。

 実際、祈りは神との対話に要約される、と教皇は述べ、そこであらゆる喜びは賛美となり、すべての試練は助けを願う機会となる、と話された。

日常生活の中の祈り〜ミサに参加できない方へ〜
 また、教皇は、祈りは沈黙においても熾火(おきび)のように燃え続け、一方で、一見世俗的に思われるあらゆる思考も、祈りの中に浸すことができる、と語られた。  さらに、キリスト教の祈りは、人の心に打ち負かされることのない希望を注ぎ、人生のあらゆる体験も、神の愛によって善へと変えられる、と説かれた。  今生きている今日という日はかけがえのないもの、と教皇は述べ、祈りはそれを恵みへと変容させ、怒りを静め、愛を支え、喜びを増し、赦しの力を与えることで、わたしたち自身をも変容させてくれる、と話された。  祈りと共に毎日を始めるならば、勇気を得て、向き合うべき問題もわたしたちの幸福の妨げではなく、神との出会いに向かわせる呼びかけとなる、と教皇は語った。