カトリック大磯教会

Catholic Oiso Curch

信徒館と土地の歴史

 大正13年(1924)にライオン歯磨の三代目社長・小林喜一が関東大震災で東京市本所にあった本宅が被害を受けたため、大磯にイギリス人の建築家に設計させ別荘を構えました。

 南側の傾斜はかつての砂丘の名残で、当時南側の大磯高校一体は湿地帯であったため、内部に湿気が入りにくい二重壁構造になっています。洋室を中心とした間取りで、中央南側にはサンルームが設けられ、室内にはステンドグラスが使用され、浴室や洗面台には大理石が用いられています。屋根は1995年に建設時と同じコロニアルに葺き替えられ、その姿を今もかなり保っており、価値のある建物です。

 このあたりは、明治時代に敷地4000坪の「松林館」という藁葺きの旅館がありました。明治22年(1889)年から営業開始、正岡子規が明治22年と25年に宿泊し、鴫立庵など訪ずれています。また、画家の黒田清輝は長期逗留し、「大磯宿屋の娘」「大磯海岸」「大磯鴫立庵」「樺山資紀像」など描いています。明治35年(1902)に他の宿屋の火事で類焼、その跡地のうち4000坪は東武鉄道創業者の根津嘉一郎の別荘となりました(2020年11月に、東武トップツアーズ株式会社が、大磯の名所旧跡を巡る社員向けツアーとして、カトリック大磯教会をも訪れ、先人ゆかりの景観に思いを馳せています)。

その後は上述のとおり、小林喜一が1600坪を購入、それが今のカトリック大磯教会になっています(「歴史の町 大磯」他参照)